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沼津観光ポータル 子どもライターが『御成橋』を紹介します!

  • 明治初期はまだ御成橋はありませんでした

    明治初期はまだ御成橋はありませんでした

  • 船で渡るイメージ

    船で渡るイメージ

明治初期、狩野川には橋がありませんでした。そのため、日本にやってきたロシアの人々も舟でわたる始末。とても不便でした。当時は今もある「我入道の渡し船」のような渡し船で対岸に渡っていました。
そこで、沼津町(当時は「沼津市」ではなく「沼津町」だった。)のお金持ち、和田伝太郎と大平村の原大平をふくめ109人がお金を出しあって、橋をかけようと決断しました。
(文責:心春)
  • 一代目「港橋」

    一代目「港橋」

お金のかかる港橋
明治9年(1886)8月3日、狩野川に初めての橋「港橋」が誕生しました。一代目の橋は、全て木で出来ていました。橋を作るためには当時のお金で3729円36銭かかり、今のお金でだいたい3,729万円のお金がかかっていました。その費用は109人の人がお金を出しあって集めました。
そして、この橋を通るには通行料がかかり、4厘を払わなければなりません。今のお金で40円くらいです。今では0円で通ることができるのに不思議ですね。
(文責:羽音)
  • 2代目港橋 3連木造アーチ

    2代目港橋 3連木造アーチ

下をちらりと見てみると
明治9年に一代目の港橋ができてから14年たった明治23年(1890)8月、木造だった港橋はなんと洪水によって流されてしまいました。この後に造られた二代目の港橋は、上の渡る部分は木造ですが、下の支え部分は今では信じられないような素材が使われていたのです。
(読み進める前に目を閉じて10秒考えてみてください)

・・・下の支え部分は、なんと「レンガ」でできていたんですよ!私は木の橋の下の支えがレンガとは、まさか…と予想もできなかったと思います。イラストの橋をよく見れば、レンガでできた少しおしゃれな橋だということがわかるはず。昔の人のセンスに拍手!
(文責:実希子)
  • 3代目 鉄橋に改築

    3代目 鉄橋に改築

もともと港橋と呼ばれていたこの橋は、やがて沼津御用邸に向かう皇族の方が「御成り」になったことで、「御成橋」と呼ばれるようになりました。
三代目の橋は明治45年(1912年)7月に改築されました。橋の支え部分は二代目と変わらずレンガですが、渡る部分とアーチの部分は鉄橋になり、また一段と強くなりました。長さ82m、幅5mと少し大きくなり、現在の御成橋へとまた近づいていきました。
(文責:真理子)
  • 美しい御成橋ですが悲しい過去が、、、

    美しい御成橋ですが悲しい過去が、、、

御成橋はその名の通り天皇陛下が御成りになったからついた名前です。
ですが・・
今回ガイドをしてくださった明治史料館の木口さんの話を聞いたところ、御成橋にはある秘められたエピソードがあるとのこと。

***
明治45年7月28日、三代目の橋が完成し、開通と改名のお祝いムードにつつまれる沼津にある報せが飛び込んできました。
それは、明治天皇が崩御されたというもの。それを聞いた沼津の人々は深く悲しみました。
そして、橋の渡り初め式をどうするか相談したところ、8月1日の開通式を中止にして、新しく用意された名前プレートを橋にひっそりと付け替えましょうということになりました。
***

改めて調べてみると、橋にまつわる知られざるエピソードがたくさんあるんですね。
御成橋は、こうした歴史を背負って、今も私たちの生活をささえてくれています。
(文責:結衣)
  • ごちょうじゅスーパーおなりジイ

    ごちょうじゅスーパーおなりジイ

  • 逆さ御成橋が見えることもあります

    逆さ御成橋が見えることもあります

  • 第二次世界大戦で爆弾が当たった所

    第二次世界大戦で爆弾が当たった所

  • 東京の永代橋とよく似ています

    東京の永代橋とよく似ています

  • 御成橋のイボイボは溶接ではなくてリベットを使った古い工法

    御成橋のイボイボは溶接ではなくてリベットを使った古い工法

なんと御成橋は今年で82歳!
今の御成橋は、昭和12(1937)年にできた四代目の橋です。この御成橋は戦争などにも耐えながら、生きのびてきました。
今では、夜にはライトアップがされて沼津のシンボルともいえる存在になっています。
今年で82年目の御成橋は今日もみんなを見守っています!
(文責:奏多)
  • パンはふわっと、中身はとろーんなのっぽパン

    パンはふわっと、中身はとろーんなのっぽパン

  • 沼津駅にはたくさんののっぽパン

    沼津駅にはたくさんののっぽパン

  • 食感パリパリで砂糖の甘味が最高な栗せん

    食感パリパリで砂糖の甘味が最高な栗せん

  • 沼津!最高!

    沼津!最高!

  • サクッとしていて優しい甘味が特徴的なひものサブレ

    サクッとしていて優しい甘味が特徴的なひものサブレ

  • とってもかわいいお店

    とってもかわいいお店

  • 普通のお茶とはちがう「これぞお茶!」素六茶

    普通のお茶とはちがう「これぞお茶!」素六茶

のっぽパン
・いちごの甘酸っぱさがパンと一緒になってあっていた。(心春)
・今日は沼津のいろいろなお菓子を食べました。その中でも特においしかったのは、のっぽパンです。外側はふわっと、内側はとろーんとしています。沼津にきたらお一人1本!いかがですか?(結衣)

栗せん
・甘くてかたくて美味しかった。昭和の鈴カスをかたくしたような味がした。くりは入っていない(心春)
・歯ごたえがよくて砂糖の甘みが最高でした。(実希子)
・食感がすごくパリパリしていて美味しかったです。(羽音)

茶せん
・歯ごたえもよく、味もいいし、後味の苦味がザ・お茶という感じがしました。(実希子)
・栗せんよりもうすくて食べやすかったです。(羽音)

ひものサブレ
・サクッサクッとしていて優しい甘味が特徴的でした。(実希子)

沼津茶『素六』
・コンビニのお茶とはちがう「これぞお茶!」という味がした。(心春)
column
この記事を書いた子どもライター

この記事を書いた子どもライター

浅田実希子・佐藤羽音・岸本真理子・鈴木心春・渡邉結衣・原賀奏多

浅田実希子「今日の取材では、おいしい沼津のスイーツを食べたり、御成橋の生い立ちについて知ることができました。ただの橋と思っていたけど、82年も長い間建っているすごい橋なんだと思いました。」

佐藤羽音「今日は御成橋を調べました。御成橋ではこれまで知らなかったことをたくさん知れたので良かったです。一番印象に残っているのは、今の御成橋になるまでに4回も建て直しをしていたことがびっくりしました。また、知り合いなどにも御成橋のことを知ってもらいたいなと思いました。そして、沼津のお土産も食べましたが、これからももっと沼津のことを知っていきたいと思いました。」

岸本真理子「今日は御成橋について今まで以上にしっかり話を聞くことができました。また、色々な歴史をしっかり知ることができました。そして沼津のお土産では、沼津の良さをしっかりPRしているお土産におどろきました。」

鈴木心春「栗せんが甘くてかたくて美味しかったです。昭和の鈴カスをかたくしたような味がしました。ちなみに栗せんに栗は入っていません!私が食べたいちご味ののっぽパンは、いちごの甘酸っぱさがパンとあっていました。」

渡邉結衣「今日を通してわかったことがあります。それは、御成橋はすごいということです。大火や戦争に耐えて、82歳になっても私たちの生活を支えてくれている御成橋は本当にすごいです。これからも、私たちを見守ってくれたらいいなと思いました。そして、今日は沼津のいろいろなお菓子を食べました。その中でも特においしかったのは、のっぽパンです。外側はふわっと、内側はとろーんとしています。沼津にきたらお一人1本!いかがですか?」

原賀奏多「御成橋の歴史について知りました。木口さんの話をよく聞き、この段階(現在の橋)になるまでにすごい時間がかかっていることを知ることができた。そして、たくさんの沼津の品々をしっかり味わいどんな味だとかどうしておいしいのかを考えました。この沼津のおいしい食べ物をみんなにも教えてあげたいと思います。」

column
たよれるガイドさん!!

たよれるガイドさん!!

明治史料館の木口さん

御成橋
中心市街地を流れる狩野川にかかる御成橋は沼津市のシンボル的な風景として親しまれています。歴史的にも明治45年7月に前身の「港橋」から県東部初の鉄橋となり、御用邸に向かう皇族が「御成り」になったことで「御成橋」と呼ばれるようになりました。
夕暮れになると、水色にライトアップされ、あゆみ橋や河岸の沼津リバーサイドホテルとともに中心市街地の美しい夜景を演出しています。

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