大正12年に東京に設立された海軍の兵器開発・研究機関です。沼津に設置されたのは音響研究部門で、昭和16年のことです(現第三中学校とその周辺約82,000坪が敷地でした)。この研究所のほかに工員宿舎・実験用水槽・作業場・倉庫なども配置されていました。江浦、淡島、大瀬崎、長井崎、多比、下土狩などにも用地・設備を保有し、実験用船舶も10隻以上あったと言われています。
この研究所では空中・水中聴音機、潜水艦探知機、電波航法、魚探技術などの開発研究が行われたと言われます(沼津の水道の基礎となったと伝えられます)。 戦時中、江浦や多比、重寺、重須など内浦湾沿岸には「回天」、「震洋」といった特攻兵器の基地が造られました。
この研究所では空中・水中聴音機、潜水艦探知機、電波航法、魚探技術などの開発研究が行われたと言われます(沼津の水道の基礎となったと伝えられます)。 戦時中、江浦や多比、重寺、重須など内浦湾沿岸には「回天」、「震洋」といった特攻兵器の基地が造られました。
住所 | 静岡県沼津市下香貫802-30 付近 |
---|