行きたいリスト
旧東海道の宿場町「沼津」の歴史をボランティアガイドと学ぶ
歴史スポットを散策しながら、古き時代に思いを馳せる
旧東海道の宿場町としての顔をはじめ、中心市街地周辺にいくつもの歴史スポットを持つ沼津。
各スポットをボランティアガイドさんと巡りながら、自らの足で歴史を学びましょう。

ぬまづ観光ボランティアガイドのツアーには、事前の申し込みが必要ですが少人数からでもご案内が可能です。
詳しいお問い合わせは、こちら(ぬまづ観光ボランティアガイド公式ホームページ)までどうぞ。
今回のコース以外にも様々なコースをご用意しています。
全行程:約3時間
START
JR沼津駅南口から徒歩約15分
1

平作地蔵

浄瑠璃『伊賀越道中双六』で有名な歴史スポット
  • 平作地蔵
歌舞伎や人形浄瑠璃の「伊賀越道中双六沼津の段」の中に、平作・呉服屋十兵衛・お米の織りなす悲劇の場面があります。「伊賀越」は、歌舞伎や人形浄瑠璃における三大仇討ちとして「忠臣蔵」「曾我」とともに、広く知られているものの一つです。
この物語は、寛永11年(1634)備前岡山藩池田の家中、渡辺数馬が、姉婿である剣客荒木又右衛門の助けをかりて、弟の仇河合又五郎を伊賀上野城下鍵屋の辻で討った史実を脚色したものです。
複雑な事情と人間関係が織りなすこの物語は、義理と人情の板挟みの物語として当時の人々に受け入れられ、平作じいさんの胸中は、後々の人々の心をうち、語り伝えられてきました。この地蔵尊は子育て延命地蔵ですが、「伊賀越道中双六」の名場面として知られる沼津の段にちなみ、「平作地蔵」とも言われています。
徒歩約3分
2

一里塚公園

旧東海道の名残「一里塚」が残る公園
  • 一里塚公園
一里塚とは江戸時代に日本橋を基点として、東海道沿いに1里ごとに設けられた塚であり、この塚は30里目のものになります。
徒歩約10分
3

旧東海道川廓通り

往時を偲ばせる、石畳の美しい通り
  • 旧東海道川廓通り
川廓町は東海道沿いにあって、東を狩野川に、背後は沼津城に接した町でした。
徒歩すぐ
4

三枚橋城・沼津城跡

栄枯盛衰の歴史を語る、沼津市街地に残る史跡
  • 三枚橋城・沼津城跡
沼津城には慶長以前の古城(三枚橋城)と、安永以後の新城(沼津城)がありました。
三枚橋城は、「北条氏政書状」によると天正7年(1579)、武田勝頼が後北条氏に対抗して築城したとされています。
武田氏の滅亡後の天正10年(1582)、徳川家康の命により松井忠次(松平康親)が城主となり、天正18年(1590)には豊臣秀吉の家臣中村一栄が城主となっています。その後、慶長6年(1601)大久保治右衛門忠佐が城主となりますが、同18年(1613)、忠佐の死後世継ぎがないため三枚橋城は廃城となり、以後160余年間沼津に城は置かれませんでした。

その後、安永6年(1777)に、後に老中となる水野忠友が同じ地に沼津城を築城します。沼津は城下町として発展し、城の南北は現在の静岡銀行沼津支店から沼津駅の手前までで、大手門は静岡銀行の西むかい側に造られ、本丸は中央公園辺りにありました。
歴代藩主は忠友・忠成(ただあきら)・忠義・忠武・忠良(ただなが)・忠寛・忠誠(ただのぶ)・忠敬(ただのり)と続きますが、忠敬の時明治に至り、徳川氏の駿河移封に伴い、水野藩は菊間(市原市)に移り、城は沼津兵学校の校舎に使用されました。

その後兵学校は廃校となり、明治5年(1872)に城の建物を競売に付し解体され、同22年(1889)には東海道線開通に伴い、城内を南北に縦貫道路が設けられました。その後、沼津は2回の大火に遭遇し、城の堀は埋められ、その面影を偲ぶことはできなくなりました。現在は、中央公園に本丸跡の碑があり、公園の南東に石垣の遺構が残っています。
徒歩約10分
5

浅間神社 丸子神社

縁結び・安産の神として信仰される
  • 浅間神社 丸子神社
古くより縁結び・安産の神として篤く信仰され、結婚式を始め人生儀礼のお参りが多いです。
同じ社には延喜式内社「丸子神社」も祀られ、剣・鏡・鍬など、鉄工芸の守護神「金山彦尊(かなやまひこのみこと)」を祀っています。例祭(9月15日)・夏越大祓式(6月30日)・初詣・節分祭には多くの参拝者で賑わいます。
美しくはかない姿を桜に喩えられる「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」をお祀りすることから、境内には桜の木が目立ち、2月下旬に開花する早咲きの桜が参拝者を魅了します。
GOAL

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